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5月に進行性のがんにより亡くなり、四十九日法要も終わりました。

肺がんが見つかり手術時に思っていたより進行していため片肺を取ったものの転移が見つかり抗がん剤治療へ。

抗がん剤はおとんの場合、副作用がかなりひどく1回の抗がん剤で一ヶ月入院で、退院しても仕事復帰までさらに時間もかかりました。
それでも、2回まで頑張ってほしいと私達家族からの希望にも応えて受けてくれました。
3回目はもう受けないと決めてからはあっという間でした。
転移が見つかってから1年ちょっとでした。

抗がん剤での入院が嫌な思い出のようでギリギリまで家で過ごしたいっていっていたおとん。
せん妄がひどく体力もなくなり実家でケアすることが難しくなり、
緩和ケアに入院して一度も起きることはなく4日目で亡くなりました。

脳に転移してからは進行が早かった。
後々になって、もうあの時にはせん妄出てたなと思うけど、当時は全然気づかなかった。
それでもガリガリに痩せることもなく、せん妄もほぼニコニコ赤ちゃんのような笑顔だったし、
記憶障害が出ても外に飲みに行きたがってたし、仕事にも行きたがっていたことが忘れられない。


覚悟は亡くなる前までできていたつもりだったけど、やっぱり無理だった。
受け入れることもまだまだできないし、無理だと思う。


生きているときは気づかなったことを亡くなってから気づき寂しさと悲しさでいっぱい。

いつもそこにあったおとんのものや存在が少しずつなくなり、それを目の当たりにすると
「あぁ、本当にいないんだな」
って、また悲しくなる。

亡くなったのも見ているし、火葬場にも行ったのだけど、
まだいる気がして、でもいないんだな。
を繰り返している。

仕事をしているときは集中しているので考えることもあまりないのだけど、
仕事が終わったり週末になると、
やっぱりいないんだな。と寂しくなる。

私はもう大人というよりおばちゃんなのに、
自分の子供が子供のままかのようにかわいくて仕方がなかったようで甘々なおとんだった。

お酒が大好きで家族の前では酒癖が悪く
しつこく話しかけてくることももうない、心配して話しかけてくる声も姿も聞けないし見れないんだな。と思うとまた悲しくなる。

そして、おかんが一番ショックを受けていてとても心配。

おかんの母は長いこと植物状態で私が生まれた年に亡くなった。
おかんの母が倒れたときに、
おかんはいつも家に帰ると食べても食べなくてもご飯の用意がしてあったのに
それもなく部屋も真っ暗で悲しくて涙が止まらなかったけれど、
そんな時におとんと出会い、結婚、出産と
おかんの母が倒れ、植物状態になってしまった悲しみをおとんと出会うことで、おとんが緩和してくれたのだと、それもおとんの優しさだったと気づいたと、亡くなって少し経った頃泣きながら話してくれた。

おとんとおかんは他人同士で、喧嘩も離婚危機も何度もあったけれど、その分思い出もたくさんあり、それが思い出され、その度に泣きながら話してくれる。そして一緒に泣く。

週末は実家に帰りおかんと一緒に過ごしている。
ショックが大きいので心配なのもあるけれど、おかんも逝ってしまったらと思う心配で、少しでも一緒にいて緩和させてあげたいし、私も寂しくおかんといたいから。
そして、実家に行くと悲しいけどおとんを近くに感じれる気がするのもあるから。


毎日ではなくていいから(苦笑)、やっぱり会いたいなぁ。声も聞きたい。
もっともっと甘えておけばよかったよ。

お酒大好きマンだから、せん妄ひどくなるギリギリまで飲んでたね。
コロナで旅行にも外へご飯食べにも行けなくてごめんね。
最後にお世話できて私は幸せだよ。

おとんが、ひどいせん妄の中ほんの一瞬私だと気づいて
「ごめんなぁ、こんなに立派によく育って」
って泣きながらいって、二人で泣きながら抱きしめ合ったこと忘れないよ。確かにあの時記憶戻ってたって信じてるしうれしかった。

まだまだいっぱい寂しくて悲しくて泣くだろうけど、おかんとおとんのしょうもない話しながら笑ったり泣いたりして生きるよ。

おとんずっと大好きだよ。